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世の中、ちょっと情報多すぎないか?

主張

ネット、新聞、雑誌、テレビ、人の噂話、いろんな人の集まりや会‥など。。。

世の中、よくもまぁ、こんなに沢山の訳のわからない情報が溢れかえっているもんだ(笑)

そして、胡散臭い怪しげな情報の多いこと多いこと・・・

そして、その胡散臭い怪しげな情報を真に受ける人の多いこと多いこと・・・そういうのが好きで集めている人も多いのには驚き!私には悪趣味としか思えないが。

(ここで注意事項➡明らかに人の弱みに付け込んだ営利目的の宗教めいたものや、犯罪めいたことは、私の中では「胡散臭い」とか、「怪しげな」レベルの分類には入らないと私は考えているので、それらは全く問題外で、対象外なので、そもそも相手にしていない。なので、ここではもっと、一見〝まとも〟そうな情報のことを対象としている)

私はいつも、こういう溢れかえる情報の山が、小学生の時に見学したゴミ処理工場に山積みされた〝ゴミの山〟のイメージに即結びついてしまうのだが(笑)。なので、私の中では、〝溢れかえる情報の山〟イコール〝ゴミ収集場の独特の臭い〟なのです。もちろん、そのゴミの中に自分が生活していて出したゴミも含まれているわけなので、しっかりと、その現状や臭いを逃げずに受け止めなければならないし、ゴミの処理に協力しなければならないと強く思う。

 

もちろん、胡散臭くなく、怪しげでない情報もあるにはあるとは思うのだけれど。

少なくとも私には、とりあえず「胡散臭くなく、怪しげでない情報」という曖昧な表現でしか、まともそうな(←まともであると言い切る自信がない)情報のことを表現できない。

しかし、そもそも〝まとも〟ってどういうことをいうのか?何を基準に〝まとも〟だと判断するのか?誰かを基準に〝まとも〟だというのか???それは危険な気がする!

私としては、〝まとも〟の基準となる人やコトこそ、根こそぎ疑って冷静に見てみなければと思う!

実は、最近私は、世の中のほとんどの情報を信用していないのです。なにもかも!

なんか、少なくとも私にとっては、何もかもどれもあてにならないのだけれど、世の中一般には、「どれもあてにならない」ことばかりだと感じると、生きていくのが辛いものなのでしょうか?

何かを頑なに信じて、すがるものがないと、生きていくのが辛いものなのでしょうか?

多くの人がそうなのだとしたら、それは、相当にしんどいことでしょうね?

そうね、だから「カリスマ」的な人とか、「神さま」的なことが脚光を浴びるのね(笑)

まぁ、そんなものか人間なんて。。。

何も信じずに生きていくことは不可能なのかなぁ?

でも私は、果たして「何も信じていない」「あてにしていない」つもりではあるけれど、本当にそうなのだろうか?実は、何かを頑なに信じているかしら?自分のことなのに全く分からないです(笑)。。。

ん~~~と、世の中の情報は、大抵は不要だという話から、ずいぶん脱線してしまったけど、、、まぁ、そういうことが言いたかったんだ。私はきっと。。。