なりたい自分像?

子どもの頃から、私には、将来自分がなりたいと思っていた自分像というのが確かあったように思う。

 

それはずっと同じというわけではなく、年齢とともに変化していったような気がする。

 

子どもの頃は、どちらかというと具体的な職業みたいなものだったように思う。

 

子どもの頃に、当たり前のように描いていた将来の自分像はピアノの先生。母が音楽の先生で、家で小さなピアノ教室もやっていたから、身近だったのでしょうか…なんて、ありふれた将来像…

 

でも、何よりもピアノを弾くのは大好きだった。学校から帰ってからとか、休みの日とか、ちょっとピアノを弾き始めると、気づいたら3~5時間は軽く過ぎていた。今思うと、意外と集中力あったんだね、私(笑)!親に「夕飯食べないの?」と声をかけられて時間にハッと気づいたような時もしばしばあった。

 

そして、自分でも、なぜ?と言いたくなるほど、貴重面過ぎる練習の仕方だったのです。その毎日の練習の順序は次のように決まっていたのです。まずは、自分の好きな曲に取り掛かりたい衝動を堪えて堪えて、堪えて弾かずに我慢するのです。

 

①ピアノの蓋を開けて、最初に弾くのは必ずハノン!まずは楽譜通りに!この時の感じで、その日のコンディションの見当がつく。。。

②次に、このハノンの幾つかを、楽譜とは別の幾つかの調で弾く。できるだけ自分の苦手な調で!

③次に、スケールを全部の調で弾く!(気が済むまで繰り返す)

④ハノンやスケールで、指の動きが滑らかでなかった場合には、さらにハノンやスケールをリズムを変えてトライ!音が滑らかになるまで、ひたすら延々と狂ったように繰り返す(笑)!(←まるで何かにとり憑かれたみたいに…やっぱ、変?それとも、ふつう?)

 

ここまでで、結構な時間とエネルギーを使い果たしていましたね(笑)!

ま、スポーツする前のウォーミングアップみたいなものですよね〜💦

 

こうやって堪えて、堪えて、堪えた後で、これから、やっとこさ自分の弾きたい曲に取り組むことが出来る!思う存分好きな曲を弾きたいだけ弾いていいんだ!と思うことの出来る、このわずかな瞬間だけが、モーレーツな開放感を味わうことのできる唯一の時だったのです。。。(←あぁ、やはり、ちょっと変…というか、ど・M系か???)

 

でも、結局、こうやって堪えた後に解放されて、弾きたい曲を弾く時間は、いつもほんのわずかしか残っていないのです!というか、、、実は、なぜか、弾きたい曲を弾き始めると、とたんに飽きてしまって短い時間で自分で「もういいやっ!や~めた~!」になるのですよ(笑)。。。ふぅ~~~。まったくね、なんなんでしょうかね???いったい何がやりたかったのか、謎。。。

 

そう、話がちょっとそれましたが、、、話を本筋に戻すと、、、

 

将来の自分像でしたね。。。こんな感じで、昔はピアノの先生になりたかったのだった。けっきょく、その道には進みませんでしたので、趣味止まり。。。それで良かったのだとも思うけど。。。

 

でも、なんやかんや言っても、結局、このピアノのお陰で、私は初めての就職が出来て、自立のスタートをきることが出来たわけなのだから、ちょっとは役にたったのかもしれない。

 

ただ、母にはいつも「ピアノ教師は、演奏することに才能がなくて演奏家をあきらめた人がするもの。目指すならば演奏家でしょ。なぜピアノ教師なの?」と言われていた。ま、そうでしょうね(笑)!

 

でも、ピアノに限らず、誰かに何かを教えることって、大事なことだよなぁとは思うのだけれど、世の中では、とても軽んじられているんだなぁと、子どもの頃から、ずうっと感じていた。なぜなんだろうか?

 

母には演奏家としての才能がなかったように、同じく私にも、その才能はなかった。めでたし、めでたしか。。。でも、このことに早い時期に気づいて挫折を経験できたから、私には良かったのか?それとも、良くなかったのか?実は未だに分からないのだ。。。

 

挫折は大事?そうなのかね?ちょっとは、そうなのかもしれないけれど。。。上手に挫折しないとね、性格がひねくれるよね(笑)!まるで、私みたいに?!(笑)…

 

でも、上手に挫折するって、どうすれば出来るの???支えてくれた仲間がいたからとか、導いてくれた人がいたからとか???そういう一見、うま~く誤魔化されそうな、オブラートに包んだような言葉が、私は嫌いなんだ!それって、ほんと???そんなに都合よく救われるものですかね???でも、そう思えて挫折を乗り越えられて来た人は(たとえ、錯覚だったとしても)、幸いなことだと思うので、感謝する気持ちも備わることでしょうと思う!願わくば、ひねくれないで素直な方が、人には好かれるよ!

 

将来、なりたい自分像ね、、、この年齢になったからだろうか、少なくとも子どもの頃や以前のように、もう職業ではないね。。。でも、そもそも、将来の自分像がなんらかの〝職業〟で形作られるっていうのも、なんだか、スケールが小さいよね(笑)。。。

 

私は、〝職業〟は、あくまでも生活(衣・食・住)のためのものなので、生活できりゃ何でも良いじゃんと思っているのだけれど、、、そういう人って少数派なの?

 

将来の自分像は、もっともっと、常識はずれのはちゃめちゃな人間になっていたいという願望が強くなった今日この頃なのであった。。。

 

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